「エヴァQは糞、これはエヴァじゃない」とかのたまう輩に鉄槌を下しはしないけれどもエヴァQはあれで良かったんだよちゃんと「エヴァ」してたよと諭すための覚え書き
そうエヴァQなんですよ。新劇ですよ。エヴァ破、ではありません。ちなみに新劇場版では正直「破」が一番好きです。
「破はご都合主義すぎてエンターテイメント作品としてはよくてもエヴァらしくなかった」と言われがちなのでコアなエヴァコミュニティではなかなか肩身が狭い想いをするものですが、それでも酷評といえば「Q」が最たる例の1つでしょう。
日々そんな肩身の狭い思いをしている私ですが、先日こんなYahoo!映画レビューを見かけましてね。
これはエヴァンゲリオンではない。
何たることかと。怒髪天を衝くとはこのことかと。
Qの映画そのものに関しては正直映画館で絶望したのでこの方の発言のニュアンスは正直分かりますし、そもそも2012年のレビューですから新しい意見でもなんでもないわけです。ですのでまあ分かるとしてもですよ、何ですかその「エヴァンゲリオンではない」っていうのは。「エヴァQはエヴァンゲリオンではない」ってのはそんなに世間ではひろく認められた言説なんですかね?
ふざけるなよ、と。
てめえらそこに直れ、と。
俺がエヴァQがどんだけちゃんとエヴァしてるか夜通し語ってやるぞ、と。
という訳で素晴らしすぎる元記事( 「ドラゴンボールはフリーザ編で終わってたら名作だった」とかのたまう輩に鉄槌を下しブウ編がいかに最終章として素晴らしいかを力説するための覚え書き - 銀河孤児亭 )に刺激をうけて改変記事を書こうと思ったけれども無理がありすぎるのでここらでやめにして、エヴァQがああいう内容だったのは視聴者への嫌がらせでも震災の影響で適当な鬱シナリオに書き直しただけでもなく、正当な理由があること、すなわち「Q」がエヴァだからなのだということをちょっと語ってみたいと思う。
【エヴァQの徹底的な鬱展開】
まずエヴァQの特徴を簡単にあげるとすれば、とにかく終始陰鬱で絶望的な展開ということになると思う。丸々二時間ひたすら鬱展開。分かりやすいエンターテイメントでカタルシスのある展開だった「破」と比べ、その差は一目瞭然だ。同質なものを求めて映画館に足を運んだ観客達が、絶望に打ちひしがれたであろう姿は想像に難くない。
ストーリーや各キャラの態度などには様々な意見があるからおいておくとして、この「二時間まるっと全部鬱展開」という点に焦点を絞ってみたい。
エヴァが鬱アニメなのは周知の事実で、旧アニメ版および旧劇場版の頃からそれはそれはひどく陰鬱な内容であった。特にアニメ後半や旧劇場版などは多くの批判を受けた。
しかし今回の「Q」はそれらをも凌ぐ勢いで鬱だ。ひたすら何も分からないシンジ。何も理解できない上に物語はどんどん悪い方へ進んでいく。そしてシンジと完全にシンクロする観客。一体何が起こっているんだ?誰か説明しろよ。あれほどまでに観客達が一体感を覚えた瞬間が、かつてあっただろうか。いやない。ある意味すごい映画である。そして鬱。鬱。鬱。起承転結もあったものではなく、あえていうなら鬱鬱鬱鬱といった感じ。いくらなんでも異常だと多くの人が感じたのではないだろうか。
一体なぜこのような超絶鬱展開にしたのか。正直なところ真実は庵野監督のみが知るところであるが、私の意見を言わせてもらうとするなら、それは「これがエヴァという物語の構造だから」ということになる。それはすなわち、私がある意味「Q」肯定派であることを意味している。あくまで「Q」は「エヴァ」という物語に必要なものであって、映画館では正直金返せと思わなくもなかったというかかなり強く思ったというのが本音ではあるけれども、今となっては新劇場版はやっぱりいいなぁ、シン・エヴァ早く観たいわーと思わせてくれるだけの映画なのである。
何故そう感じるのか、その理由は新劇場版と旧アニメ版+劇場版を対比することで「Q」の必然性に気付いたからであるが、この考えに至るまでには、エヴァの物語がどのような構造になっているかを理解することが必要であった。それにはまず、「何故シンジはアスカの首を絞めたのか」をひたすら考えなければならなかった。このラストシーンを読み解くことが、エヴァという物語の構造を読み解く鍵なのである。
逆に言うと、物語の構造を理解すれば、あのラストシーンの見方が変わる。私はこのとき初めて、「エヴァのことがほんの少しだけ分かった気がする」と感じることが出来た。
【エヴァンゲリオンという繰り返しの物語】
そもそもエヴァンゲリオンという作品のテーマはなんなのか。エヴァンゲリオンとはどういう物語なのか。「新劇場版:序」の発表時、庵野監督はこのように発言している。
『「エヴァ」は繰り返しの物語です。主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく物語です。わずかでも前に進もうとする、意志の話です。』
もうこれにつきます。大抵の場合、漫画やアニメでは主人公の成長が一つのテーマになる。過酷な試練や強敵を乗り越えて、主人公は劇的に成長していく。ではエヴァの場合はどうだろう?
成長しようともがくシンジ。しかしなかなかうまくいかない。良い事と悪い事の繰り返し。戦ったり、逃げたり、敵を倒したり、引きこもってウジウジしたり。観ている方がやきもきするぐらい、もがき苦しむ。カタルシスがなく陰鬱だと批評され糞アニメのレッテルを貼られることもある。もっと成長しろよと。しかし、現実世界はどうだろう。人は、劇的には成長できない。何度も間違いを犯しながら、少しずつ成長していく。楽しいだけではない、良い事ばかりではない世界。そう、エヴァの、成長できないシンジ君のように。それがエヴァの持つリアリティであり、多くの共感を呼んだ。
『シンジ君は今の僕です』
『「新世紀エヴァンゲリオン」には、4年間壊れたまま何も出来なかった自分の、全てが込められています』
という庵野監督の発言からも、監督自身の「リアル」そのものがエヴァだと言う事が分かる。シンジがなかなか成長できないのは、リアルさ故なのだ。
この「繰り返しの物語」というテーマを劇中で語っている人物が居る。それが「本作のもう一人の主人公」である葛城ミサトだ。特にアニメ版の後半や旧劇場版におけるミサトの発言には、エヴァを読み解くための鍵が多分に含まれている。
「今の自分が絶対じゃないわ。あとで間違いに気付き、後悔する。私はその繰り返しだった。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。でも、その度に前に進めた気がする」
旧劇場版におけるこのセリフが、シンジの人生を、そしてエヴァという物語そのものを端的に表している。監督自身の経験を、シンジよりも少し多く知っているのがミサトと言うキャラクターなのだ。
実際、シンジはこの「ぬか喜び」と「自己嫌悪」を劇中で何度も繰り返している。例えば、
父さんに呼ばれる(ぬか喜び)→「エヴァに乗れ」(自己嫌悪)
使徒を殲滅して褒められる(ぬか喜び)→トウジを殺しかける(自己嫌悪)
カヲルと出会う(ぬか喜び)→カヲルを殺す(自己嫌悪)
このような感じ。特に最後のものが顕著で、この経験によってシンジは「絶対にエヴァに乗らない」という決断をする。今まで他人の意見に流されてきたシンジにとって、これは劇中最大の成長といえるだろう。成長しない主人公として有名なシンジ君だが、実際にはこうして少しずつ「前に進んでいる」のだ。
このようにエヴァという物語は、シンジが「ぬか喜びフェーズ」と「自己嫌悪フェーズ」を繰り返しながら、少しずつ少しずつ成長していくという構造になっている。まさに「エヴァは繰り返しの物語」なのである。だからこそシンジはこう考える。
「生まれてきてどうだったのかはこれからも考え続ける。だけどそれも当たり前のことに何度も気付くだけなんだ。自分が自分で居るために」
綺麗なラストシーンでなく、まるで世界の終末のような、これからも辛い事が続いていくような終わり方で物語は幕を閉じる。なぜなら、エヴァは、そして人生は、良い事ばかりではない、「繰り返しの物語」なのだから。
【Air/まごころを君に でなぜシンジはアスカの首を絞めたのか】
こうして考えると、「Air/まごころを君に」のあの有名なラストシーンにも意味があるのだと分かる。ただ、それは「繰り返しの物語だから」の一言で片付けられるものでないのは明白だ。最後の最後、なぜシンジはアスカの首を絞めたのか。アスカの言い放った「気持ち悪い」の真意はなんなのか。この十数年で数えきれないほどの考察がなされてきた。誰もがシンジの言動を分析し、想像し、それぞれの結論を導いてきた。
私も無数の考察を読んだし自分でも考察した。シンジのセリフや行動原理を理解しようとした。しかしなかなか答えに辿り着けない。そんなとき思い出したのは、監督のある言葉だった。
『エヴァ』のキャラクターは全員、僕という人格を中心にできている合成人格なんですけれど…」
そうだ。シンジだけではない。他の登場人物達もまた、庵野監督の分身なのだ。答えに辿り着くための鍵はそこにある。ここでもう一度、もう一人の主人公ミサトの言動に注目してみよう。
ミサトの最期のシーン。銃で撃たれたミサトは、シンジに語りかけ、自らの想いを告げる。その中にこのようなセリフがある。
「自分が嫌いなのね。だから人も傷つける。」
「自分が傷つくより人を傷つけた方が心が痛いことを知っているから…」
この部分に私は疑問を持った。シンジが自ら人を傷つけている?行動力のかけらもないウジ虫みたいなシンジ君が?トウジと戦うことを頑に拒否した、あの碇シンジが?
シンジのことを深く考える前に、まずミサト自身について考えてみたい。テレビ版第25話において、ミサトと加持の回想シーンがある。悪名高いテレビ版の25, 26話だが、実はエヴァを読み解くための重要な情報がふんだんに盛り込まれている。良かったらもう一度観返してみてほしい。さて、その回想シーンから一部のプロットを抜粋したい。
「加持君の腕の中に、父親を求めていたのよ」
「違うわよ」
「そうよ。あの時、加持君の中に自分の父親を見つけたわ。だから逃げ出したの、彼から」
「怖かったの。まるで、お父さんと」
「でも本当は嬉しかったからなの。それが快感だったの。たまらなく心地いい瞬間だったわ。だから嫌だった。だから別れたの」
「ま、恋の始まりに理由はないが、終わりには理由があるってことだな」
「優しいのね、加持君。その優しさでお願い、私を汚して」
「今、自分が嫌いだからといって傷つけるもんじゃない。それはただ刹那的な罰を与えて、自分をごまかしているだけだ。やめた方がいい」
そして、こう言う。
「ときどき自分に絶望するわ。嫌になるわよ」
ミサトは自分に絶望した時(自己嫌悪フェーズ)、自分を傷つけようとした。加持と交わりを持つことが、ミサトにとっては快感でもあり、精神的な自傷行為でもあった。
ミサトもシンジも監督の分身なのだから、心の深い部分では同じ行動原理が働いているとすれば、シンジも自己嫌悪フェーズに陥った時自分を傷つけようとするはずだ。そのための手段として「人を傷つける」とミサトは言った。人を傷つけることで、自分の心がもっと傷つくから。
そうなのだ。カヲルが使徒だと気付いた時、裏切られたと思ったシンジはぬか喜びフェーズから自己嫌悪フェーズに落とされた。使徒=人類の敵という常識のある世界で、一番の親友が使徒だなんてほとんど笑い話ではないか。激しい自己嫌悪に苛まれたシンジがとった行動は、カヲルを捕まえることだった。そしてカヲルが何を言っているのかすら分からないままに、彼を握りつぶすシンジ。何故シンジは、あそこでカヲルを殺す選択をしたのだろう。
「使徒は人類の敵だから」という理由ももちろんあっただろう。実際私はずっとこれが唯一の理由だと決めつけていた。混乱し錯乱したシンジは、とりあえず使徒だから、そしてカヲルが殺してくれと言ったから殺したのだと。しかし、そこには「(カヲルを殺すことで)自分の心を傷つけたい」という自傷衝動があったのではないだろうか。自己嫌悪フェーズにおいて、ミサトがそうであったように。
また旧劇場版ではシンジの精神世界が何度も描写される。その中でシンジはアスカに罵られ、最終的にはアスカの首を絞める。
なぜだろう。
リビドー/デストルドーが自己に向くか他人に向くかといった言説がある。
裏切られる恐怖から、裏切られるくらいなら殺してしまえばいいという考え方だという考察も良く見かける。
しかし私にはどれもしっくりこなかった。しかし、「自傷行為」という観点から考えると納得がいった。
「なにか役に立ちたいんだ。ずっと一緒にいたいんだ。」
「じゃぁ、なにもしないで。もう側にこないで。」
「あんた、私を傷つけるだけだもの」
「アスカ…。助けてよ。ねぇ…。アスカじゃなきゃダメなんだ…」
「嘘ね」
「あんた、誰でもいいんでしょ。ミサトもファーストも怖いから。お父さんもお母さんも怖いから!私に逃げてるだけじゃないの!」
「助けてよ…」
「それが一番楽で、傷つかないもの」
「ねぇ…。僕を助けてよ!」
「ほんとに他人を好きになったこと無いのよ!自分しかここに居ないのよ。その自分も好きだって感じたこと、ないのよ!」
アスカがシンジを突き飛ばす。
「哀れね…」
椅子を振り回し暴れるシンジ。
「助けてよ…ねぇ、誰か僕を、悩みから僕を助けて…」
「助けてよ…僕を助けてよ!」
「一人にしないで!僕を見捨てないで!僕を殺さないで!」
「イヤ。」
そしてシンジはアスカの首を絞める。もうお分かりですね。徹底的にこき下ろされたシンジの自己嫌悪感は最高潮だったことでしょう。なにせアスカの言うことは全て的を得ているし、シンジは何も反論できず「助けてよ」しか言えないし、挙げ句の果てには「イヤ」って。なんというストレートな断り方。もうシンジの自我は崩壊寸前、もう嫌だ死にたい。死にたくない。殺さないで。精神状態がもう滅茶苦茶で、自分が嫌でたまらなくて、自傷行為に走るシンジ。その手段がアスカの首を絞めることだなんて、このとんでもない自己中っぷりには感心すら覚えるレベル。アスカのことなんかこれっぽっちも考えてない。でもこれはシンジの精神世界だからいいんです。偽りのない本当の気持ちなのだから。
そう、カヲルを殺したのも、精神世界でアスカの首を絞めたのも、「自分の心を傷つけること」が本当の目的だった。それこそが、シンジが絶望した時の自己防衛手段なのだ。
ここでもう一度ミサトのセリフに注目したい。
「自分が嫌いなのね。だから人も傷つける。」
「自分が傷つくより人を傷つけた方が心が痛いことを知っているから…」
「でも、どんな想いが待っていても…それはあなたが自分一人で決めたことだわ。価値のあることなのよシンジ君」
「あなた自身のことなのよ…。ごまかさずに自分に出来ることを考え、償いは自分でやりなさい」
「ミサトさんだって…他人のくせに。何も解ってないくせに!」
「他人だからどうだって言うのよ!あんたこのままやめるつもり!?今ここで何もしなかったら、私、許さないからね…。一生あんたを許さないからね」
「今の自分が絶対じゃないわ。あとで間違いに気付き、後悔する。私はその繰り返しだった。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。でも、その度に前に進めた気がする」
この時のシンジは、カヲルを殺したことにより「エヴァに乗る=大事な人を傷つける」という事実に気付き、絶対にエヴァに乗らない決意をしている。
それに対してミサトは、何もしないより行動しろとシンジを諭す。後悔したっていい。心が痛むかもしれない。ミサト自身も、何度も自分に絶望し、自分の心を傷つけてきた。しかしそれでも、そうやって、繰り返し繰り返し、少しずつ前に進んできた。だからあなたも、何度だって繰り返せばいい。立ち止まるよりも行動しなさい。そういって、別れを告げるミサト。
シンジはその場では結局エヴァに乗ろうとしなかったが、このミサトの教えを、ラストシーンで忠実に守ることになる。
最後のシーンでも、ぬか喜びフェーズ→自己嫌悪フェーズの繰り返しを見て取ることができる。
サードインパクトを起こしてスーパー自己嫌悪タイムに入ったシンジ君。しかし手に握ったミサトさんのペンダントを見ながら思う。もう一度、皆に会いたいと。
ここでシンジはミサトの言葉の意味を理解する。人生は繰り返しなのだと。良い事もあれば、嫌なこともある。それが現実なのだとようやく気付く。それが、レイとカヲルとの会話で分かる。
「僕の心の中にいる君たちは何?」
「希望なのよ。人は互いに解り合えるかもしれない、ということの」
「好きだ、という言葉とともにね」
「だけどそれは見せかけなんだ。自分勝手な思い込みなんだ。祈りみたいなものなんだ。ずっと続くはずないんだ。いつかは裏切られるんだ。僕を見捨てるんだ」
「でも、僕はもう一度会いたいと思った」
「その時の気持ちは、本当だと思うから」
こうして物語の構造、ひいては監督の考える人生の構造を少しだけ理解できたシンジ君。脳裏にはNERVや学校の皆の顔が浮かぶ。その中心には、笑顔のシンジがいた。世界を滅ぼすような自己嫌悪フェーズを乗り越え、晴れやかな次のぬか喜びフェーズへ足を踏み出すシンジ。
母ユイと対話するシンジ。
「幸せがどこにあるのか、まだ分からない。だけど、ここにいて、生まれてきてどうだったのかはこれからも考え続ける。だけどそれも当たり前のことに何度も気付くだけなんだ。自分が自分で居るために」
ようやく現実を見つめ始めたシンジ。なんかすごい成長してる。これは王道ハッピーエンドの予感!と思わせておいて、例のシーンが始まる。
タイトルが表示されたあと、目を覚ますシンジ。真っ赤に染まった世界で、自分とアスカだけが横たわっている。もうどう見ても世界滅んじゃってる。うそーん。世界復活するんちゃいますのん?と関西弁で思ったかどうかは分からないが、ぬか喜びフェーズも束の間、一気にまた自己嫌悪フェーズに落ちるシンジ。だって世界滅ぼしちゃったんだから。
そしてアスカの首を絞めるシンジ。なぜなのか、理由はただ一つ。
絶望したから。
自己嫌悪フェーズにおける(精神的な)自傷行為としてこのとき最も自分の心を痛めつけられることはアスカを殺すことだろう。自分以外でこの世に一人しかいない人間なのだから。
ここで「シンジはアスカのことが好きなのにそんなことするわけがない」みたいな頓珍漢な反論をされる方もいるかと思いますが、それは全くもって的外れです。むしろそれは首を絞めるための理由として好材料の一つです。この時の彼の目的は自分の心を痛めつけることなのだから。
そう、シンジが最後にアスカの首を絞めた理由は一言でいえばこうです。
「自分の心を傷つけたかったから」
【エヴァ旧劇場版はバッドエンディングではない】
「Air/まごころを君に」のラストはグッドエンディングかバッドエンディングどちらだと思いますか、こう聞かれたら大抵の人がバッドエンディングだと答えるのではないだろうか。
実際に私もずっとこれはバッドエンディングの類だと考えていた。
しかし、上記のような視点で物語を読み解いていくと、実は旧劇はグッドエンディングだったのではないか?という気持ちがふつふつとこみ上げてきた。
エヴァはシンジの物語であり、シンジとは庵野監督自身だ。庵野監督の弱い部分や暗い部分がこれでもかというほど如実に現れている。では、この物語におけるグッドエンディングの定義とはなんだろう。
世界を救うこと?人類を補完すること?アスカやレイやミサトが楽しく生きていけること?
完全に個人的な意見になるが、私の出した結論はこうだ。
エヴァンゲリオンにおけるグッドエンディングの定義は二つある。それは、
- シンジが成長すること
- シンジの人生が前に進むこと
こうだ。これはエヴァンゲリオンを庵野監督の人生に置き換えてもらえば分かりやすいと思う。
このような観点から旧劇のエンディングを考えてみたい。
まず一つ目の「シンジが成長すること」だが、これは明らかに満たしている。
いつまでたっても成長しないというイメージで良く語られるシンジだが、アニメ版と旧劇場版を通してほんの少しずつ成長している。
特に旧劇場版で頑にエヴァに乗らなかったことは特筆すべき成長だ。普通に考えたらアスカを助けるためにエヴァに乗った方が良さそうなシーンである。ミサトも頼むからエヴァに乗ってくれと命をかけてシンジを諭した。
しかし彼は気付いていた。いつもそうやってエヴァに乗っていたが、本当に世界を守れているのか?世界とはなんなのか?自分を一番必要としてくれたカヲルを殺してしまったのは、他ならぬエヴァに乗った自分なのに。
エヴァに乗れば大切なものを守れるように一見思えても、実際はそうじゃないんだ。そう思って彼はエヴァに乗らない決意をした。それは今までのように人に言われて決めたことではなく、自分自身で考えた決断だった。紛れもない成長と言えるだろう。
そして上記の通り、レイやカヲル、ユイとの対話の中で「人生とは繰り返しの物語なのだ」ということに気付く。この成長は、良くあるアニメの主人公の劇的な成長にもひけをとらないものだろう。ただ、精神的な、あるいは哲学的なことであって、髪の毛が金色になったり時を止めれるようになったり火影になって里を治めたりする訳ではないので分かりにくいのはあるが。
次に「シンジの人生が前に進むこと」という点。これに関しては、もう一度シンジとアスカのラストシーンを振り返ってみたい。
目を覚ますシンジ。
真っ赤に染まった世界。
隣で横たわるアスカ。
アスカの首を絞めるシンジ。
苦しそうなアスカ。
しかし、そこでアスカのとった行動は、シンジの頬に手を差し伸べることだった。
首を絞める手が解ける。
泣き出すシンジ。
嗚咽が漏れる。
そして最後にアスカはこう言う。
「気持ち悪い」
ああ、なんということでしょう!
首を絞めている相手が頬をさすってくるなんて。シンジ君困惑。やだこんなの初めて。とてつもない自己嫌悪フェーズの中で、アスカのことなんかこれっぽっちも考えず、ただただ自分のためだけに首を絞めてたのになんか頬さすられたよ。何これ訳分かんない。もしかして愛ってやつ?俺、愛されてる?なに?ヤバい泣けてきた。混乱。意味わかんねぇー。意味分からんけど泣けるー。
私がシンジだったら多分こうなる。
今までにない展開。自己嫌悪フェーズで絶望している自分を救ってくれる人。ミサトにとっての加持。そういう人がシンジにはいなかった。精神世界においてすら、アスカに、ミサトに、レイに、拒絶された。絶望において自分を救う手段は、自分を傷つけて刹那的な罰を与え、自分をごまかすことだけだった。
それが今、絶望の淵に立つ自分に、手を差し伸べてくれる人が初めて現れた。それも、首を絞められるという滅茶苦茶に理不尽な状況においてさえ、手を差し伸べてくれる人が。
ぬか喜びと自己嫌悪を繰り返す人生の中で、そのサイクルの進め方が変わるかもしれない。そういう新しい光として、ここにアスカがいる。アスカはシンジにおける「救い」であり、人生における「希望」なのだ。
絶望から自分を救ってくれる希望の光と初めて出会った。
このラストシーンでシンジの人生は大きく前に進んだのだ。
そういうわけで私の考えたグッドエンディングの定義に完璧に当てはまっているため旧エヴァはグッドエンディングだ!そうなんだ!庵野さんマジリスペクト!
そう考えると最後の「気持ち悪い」も愛情のこもったセリフに聞こえてくる。
廃人同然の自分をオカズにするような、
大量のエヴァと一人で戦っていても助けてくれないような、
二人きりの世界で首を絞めてくるような、
どうしようもなく「気持ち悪い」シンジ。
仕方が無いから、私が一緒に生きてあげるわよ。みたいなね。
ちなみに最後のラストシーンはアスカとシンジ両方の願いを一応叶える形になっているというのもポイントです。
アスカの願いは、シンジの精神世界における
「あんたが全部私のものにならないんなら、私、なにもいらない」
であり、シンジの願いは旧劇冒頭における以下のセリフである。
「ミサトさんも、綾波も、怖いんだ…。助けて…助けてよアスカ…」
「ねぇ…起きてよ、ねぇ…目を覚ましてよ…ねぇ…ねぇアスカ…アスカッ…アスカッ!」
「助けて…助けて…助けてよ…助けてよッ…助けてよッ」
「またいつものように僕を馬鹿にしてよっ!ねぇ!!!」
【新劇場版における繰り返しの構造】
なんだか話が逸れに逸れてしまったが、上記の通り、エヴァンゲリオンとはぬか喜び→自己嫌悪(絶望)を繰り返す物語だ。それは新劇場版になっても変わらない。
新劇においては特にぬか喜びフェーズが強調して描かれている。ゲンドウはやたら褒めてくれるし、綾波はポカポカするし、なんか色々うまくいきがちである。そのためこの繰り返し構造が見て取りやすい。
「Q」の話をする前に、まずは「破」における繰り返しについて考えてみたい。
皆さんももうお分かりだと思うが、「破」ではぬか喜び→絶望のサイクルが二回ある。正確には一回半かもしれない。初めの方を絶望にカウントすれば二回だ。
一回目のぬか喜びフェーズは明確だ。使徒殲滅以降、物語はどんどんいい方向に進んでいく。旧アニメ版の名シーンはポジティブな形で置き換えられる。綾波はアスカのビンタをとめるし、ポカポカするし、食事会開こうとするなんとゲンドウも行こうとする。アスカは孤独よりも人といる楽しみを見いだすし、私、笑えるんだってなるしトウジの妹は退院するしマリのケツはプリプリしている。
史上かつてないほどのぬか喜びフェーズは新規ファンでも楽しめるかたわら旧からのエヴァファンへのリップサービスにも溢れていて、面白過ぎて不安になるほどだった。エヴァってこんなにうまいこといく話だっけ…?上げるだけ上げてガッツリ落とされるんじゃね…?
そんな観客の不安は的中し、アスカは3号機に取り込まれレイは使徒に食われで後半は完全に絶望のフェーズとなっている。このような構成は映画ではよく見られるものであるが。
しかし。なんと絶望フェーズで終わらなかったのが「破」の驚くべきどころだ。旧劇は希望とであったとはいえ世界に二人しか残らなかったという完全な絶望フェーズで終幕したため、エヴァといえば絶望で終わるというイメージが少なからずあったと思う。
ところが「破」ではまさかのシンジ君覚醒。自分自身の願いのために、自分で戦って勝利を勝ち取るシンジ君。私が死んでも代わりはいるもの発言をまさかの否定。これまで見たことのないようなぬか喜びフェーズに突入したところで「破」は終わった。
旧エヴァにおける謎やフラストレーションを一気に解放するようなカタルシス。初めて見たときめちゃくちゃ感動したよ。面白かった。破。
まあそういうわけで「破」におけるサイクルは
(絶望)→ぬか喜び→絶望→ぬか喜び
となっている。
それも、最後のぬか喜びがものすごく大きいのがポイントだ。
次に、新劇場版全体について考えてみる。
新劇場版は「序」→「破」→「Q」→「シン」という構成なわけだが、ここにも繰り返しのサイクルを当てはめることが出来るのではないだろうか。
「破」という作品そのものを考えると、ぬか喜びか絶望かでいえば完全にぬか喜びである。結局最後はシンちゃん覚醒で使徒ぶっ倒してサードインパクトも止まりましたよーなんて都合が良すぎる。大きな大きなぬか喜びフェーズだ。
「序」はまぁ旧アニメとあまり大差のない内容だが、全体的にあまり明るい雰囲気でもないし、そもそもエヴァなんかに乗らなくてはならなくなったというシンジ君の事情を鑑みればちょっとした絶望フェーズだろう。つまりこうだ。
「序」(絶望小)→「破」(ぬか喜び大)→「Q」(?)→「シン」(?)
そう、エヴァという繰り返しの物語において、非常に大きなぬか喜びフェーズが「破」なのだ。そうすると、次にくる「Q」はそれと同様かそれ以上に大きな「絶望フェーズ」でなければいけない。そうでなければ「繰り返しの物語」ではなくただのご都合主義の楽しいロボットアニメになってしまう。
だから「Q」はあれほどまでに、徹底的に絶望的だったのだ。鬱展開だったのだ。それは、新劇場版が「エヴァ」であり、庵野監督の人生観がまだ変わっていないことを意味している。人生は繰り返しの物語であり、エヴァは庵野監督の人生そのものなのだ。それは新劇場版になっても変わらない。
だからなあ、エヴァQを「あれはエヴァじゃない」なんて言ってる奴がいたら俺の所に連れて来い。デアゴスティーニ片手に夜通し説教したる。エヴァQは新劇場版における絶望フェーズなのだ。そうでなくてはいけないのだ。以上。俺に言えるのはそんだけだ。
願わくば、この記事を通して少しでも多くの人間がエヴァQのDVD/BDを買ってくれますように。
(まあその上で「単純にエヴァQつまんないじゃん」とか言われちゃったらどうしようもないけどな。ぶっちゃけ俺も最初そう思ったし。というかここにきてまた元記事の文体パクってすみません、やりたかったんです)
最後に。旧エヴァと新劇場版の関係性について少し語らせてほしい。
【旧エヴァと新劇場版の対比】
旧エヴァと新劇場版のストーリーのつながりというのは最も考察が盛んなトピックの一つであり、様々な説が唱えられている。
ここではそのような直接的なつながりではなく、物語の構造としての対比を考えたい。新劇場版は旧エヴァの「リビルド」的な立ち位置なのだから、旧エヴァとの対比を意識しながら作られているのは間違いないからだ。
まず、「序」はアニメ版の前半とほとんど構成も同じなので特筆するべきところはない。
「破」と旧エヴァの関係性については、サードインパクトが起こった点に着目すれば旧劇場版と 、カヲルが現れた点からすると第24話と、ゼルエルが現れてレイが死ぬところからすると第20話と対応している。
ここで再び「繰り返しのサイクル」に注目したい。
旧アニメ版における第20話は非常に特徴的な絶望フェーズの一つだと思う。初めて見たとき正直震えた。怖いよ初号機。
そして第24話は長かった絶望フェーズを抜けてついにぬか喜びフェーズに足を踏み入れる回だ。カヲルという存在によって救われていくシンジ。このぬか喜びは今までのどれよりも勝っていたかもしれない。「好きだ」と言われたのも初めてだった。
しかし24話の後半で一気に絶望フェーズへと落ちる。今までで一番自分を必要としてくれた人を、自分の手で殺したことによる絶望。大きな大きな絶望フェーズである。
そして旧劇場版は基本的にはひたすら絶望フェーズ。世界の修復を願うあたりで一瞬ぬか喜びフェーズがあって、またすぐにラストシーンの絶望。
ラストシーンの最後の最後は、見方によってはぬか喜びフェーズに見えないこともないかもしれない。
以上をまとめるとこうなる。
第20話(絶望)
→第24話前半(ぬか喜び大)
→第24話後半〜旧劇(絶望大)
→旧劇終盤(ぬか喜び小)
→ラストシーン(絶望大)
→(ラストシーンの最後(ぬか喜び?))
これを新劇場版のサイクルに当てはめると、以下のようになると思う。
「破」後半(絶望)
→「破」ラスト(ぬか喜び大)
→「Q」前半(絶望大)
→「Q」カヲルと会う(ぬか喜び小)
→「Q」後半(絶望大)
→(「Q」ラスト(ぬか喜び?))
詳しい説明は省略するが概ね理解は得られるのではないだろうか。
「Q」でのカヲルとの出会いによるぬか喜びのインパクトは、旧エヴァに比べて小さかったように思う。すぐにサードインパクト後の世界を見せられて絶望したし。ヤリでヤリ直すとかもシンジ君あんま意味分かってなかったっぽいし…。
「Q」のラストは絶望かと思いきやシンジは一人じゃないし、アスカは元気だし、一応ぬか喜びフェーズということもできるだろう。シンジ君は絶望してるけどね。
以上が旧エヴァと新劇場版の対比であるが、何故このような解説をしたかというと、「シン」への期待からである。
エヴァQは時系列的には旧劇場版より14年も進んで、新展開だ!新展開!と思いきや物語の構造としてはちょうど旧劇が終わったところまでなのである。
つまり次回作の「シン・エヴァンゲリオン」からがエヴァにとって本当の新ステージだということであり、そこに続く「Q」のラストシーンが歩き出すシンジ・アスカ・レイの三人であることが私に希望を与えてくれる。
すなわち旧劇ラストでの「真っ赤な世界で横たわる二人」と対比して「真っ赤な世界で歩き出す三人」というのは、「エヴァンゲリオン」という繰り返しのサイクルの中で、「旧エヴァ」という絶望フェーズを乗り越えて、新劇場版は「希望」というぬか喜びフェーズで終わりを迎えてくれるのではないかという庵野監督への期待であり、希望であり、私個人の願いが叶う可能性を示唆してくれる光なのだ。
という訳で庵野さん、早くシンエヴァ作ってくださいお願いします。。期待してますよ。。。
(私のエヴァに対する理解や見解は今まで無数に見てきた考察サイトや本等に基づいて構築されたものであり、私一人ではここまでエヴァを深く考えることは到底できなかったでしょう。そういう点で、全てのエヴァファン達に感謝するとともに、多分私の考えの半分かそれ以上は「エヴァンゲリオン」のページにある素晴らしすぎる考察があってこそのものだということをここで白状しておきます。というかこのページの内容をそのまま書いている部分もあるかもしれません。もうどれが自分の考えとかよく分からなくなってます。基本的にはこのYasuakiさんの考察がオリジナルだと思ってください)
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